1930年代前半のヒトラー・ユーゲント

1922年2月25日、ナチス党員や党に共感する若者を組織した、党の付属組織(突撃隊の指揮下)の一つとして始まる。1926年7月3日、「ヒトラー・ユーゲント」と改称。党唯一の青少年組織として公認された。当初は男子のみだったが、1930年、「ドイツ女子青年団(BDM)」が作られ、1932年にヒトラー・ユーゲントに組み込まれている。1933年7月20日、ヴァチカンはナチスと「政教条約」を締結、宗教目的の各組織の保護を取り決め、ドイツ国内での法的地位を明確にさせた。7月29日、ヒトラー・ユーゲント団員が同時に宗派的青年団に所属することを禁止し、カトリック青年団以外の全ての青少年組織を吸収、一元化した。1936年12月1日、「ヒトラー・ユーゲント法」により、党組織から公式に国家組織(10歳以上強制加入、他青年団組織の禁止)となった。

ヒトラー・ユーゲントとは、男子を未来の兵士として、女子を未来の兵士を生む母として育てるための組織だった。

ショル家の子供達がユーゲントの活動に参加していた1935年頃は大まかに下記の4つの組織から構成されていた。

  男子:  ヒトラー・ユーゲント(14歳〜18歳) ドイツ少年団(10歳〜14歳)
  女子:  ドイツ女子青年団(14歳〜18歳) ドイツ少女団(10歳〜14歳)

各組織には約3000人単位の部隊があり、各部隊はその下にある約600人単位の大隊、約160人単位の中隊、約40人単位の小隊、約10人単位の班から成っていた。ハンスは中隊長になっていたので、約160人のリーダーだったことになる。ヒトラー・ユーゲントのリーダーになるには、管区の指導者養成所で約3週間の養成コースに参加する必要があったが、実際は指導者不足のため、このコースを受けずにリーダーとなる者も多かった。ハンスがこの「歴史、政治、人種生物学の充分な知識教育と相当な身体的訓練」を受たかどうかは不明。

ユーゲントの主な活動には、毎週水曜と土曜の午後に行われる「夕べの集い」(指導部が作成に関与したラジオ放送を聴く、リーダーが党の歴史に関する本を朗読する、等)と、月に1〜2度週末に行われるキャンプ(年少組織は日帰り)があり、夏休みには1週間以上の長期キャンプがあった。青年運動のスタイルを取り入れているが、起床から就寝まで細かな規則に従い全員で行動することで、共同体への従属の意識を植え付けるものだった。

参考:
原田一美『ナチ独裁下の子どもたち』講談社/1999
平井正『ヒトラー・ユーゲント』中央公論新社/2001



ドイツ(及びオーストリア)は古くからの音楽の国ですから、「他民族のもの」という理由だけで歌を禁止されたところで納得できるわけがない、という若者たちはハンス以外にも多かったそうです。


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