ゾフィー・ショル Sophie Scholl

 私はもう一度、すっかり同じことをやるでしょう。
 考え方のまちがっているのは私ではなく、
 あなたがたの方なのですから。

1943年2月20日 



1921年5月9日、ゾフィーはコッハー河畔の小さな町フォルヒテンベルクで生まれた。両親と姉インゲ(1917年生まれ)、兄ハンス(1918年)、姉エリーザベト(1920年)、弟ヴェルナー(1922年)の7人家族。一家は1930年にルートヴィヒスブルクへ移り、またその2年後にウルムへ移住した。

1934年頃、ゾフィーはヒトラー・ユーゲントの組織、ドイツ少女団に入る。しかし、姉や兄がユーゲントの活動に積極的に参加していたのとは対照的に、彼女はキャンプやハイキングなどを楽しんではいたが、政治的熱狂とはかなり距離をおいていた。家では反ナチスの父と、ユーゲント内で早くから昇進していた兄との口論が繰り返されていたが、ゾフィーはそれを注意深く見守っていた。

しかしそのハンスも徐々にナチスに対し疑いを持つようになり、1936年秋以降、急速にユーゲントから離れて行く。ショル家の子供たちもハンスとともに、禁止されていた同盟系青年団「d・j・1・11」の活動に参加するようになる。この青年団に女子は入ることが出来なかったが、彼らがたびたびショル家で会合を開いていたため、ゾフィーたちも彼らと親しくなり、興味深い本、大抵はナチスに排斥された作家の本などを教え合い、討論にも参加することがあった。

1937年11月、ナチスは非合法青年団を摘発するためドイツ全土で捜査を開始し、ショル家も秘密警察の家宅捜索を受けた。このときインゲ、ヴェルナー、ゾフィーが連行され、兵役に就いていたハンスは兵舎で逮捕された。ゾフィーが連行されたのは男の子と間違えられたためで、すぐに釈放されている。姉と弟は8日間の尋問の後ようやく釈放され、ハンスは一ヶ月の拘留の後に起訴されたが、翌1938年のオーストリア併合による恩赦で起訴取消しとなった。ゾフィー自身は取り調べを受けることはなかったが、この事件は彼女の政治的な目覚めのきっかけとなった。

1939年に戦争が始まった時、ゾフィーは召集された友だち全員に(無駄だと知りながら)決して発砲しないと約束させている。「戦争はすぐ済むなんて甘い考えには全然賛成できないわ。ドイツはイギリスを封鎖によって降伏させられるだろうなんて子供っぽいこと言ってる人も多いけど。そのうちわかることだわ(恋人フリッツ・ハルトナーゲル宛1939年9月19日)。」(『白バラの声』インゲ・イェンス編・山下公子訳/新曜社)

帝国勤労動員を経て、ようやく大学で学ぶことができるようになった1942年5月初め、ゾフィーはミュンヘンへ移った。ハンスは親しい友人たちを彼女に紹介し、彼ら主催の読書会にも招待する。白バラのビラがミュンヘンの街に現れたのはこの1ヶ月後だが、最初からゾフィーが白バラに関わっていたかどうかはわかっていない。

しかし、ハンスたちが前線実習のため不在だった間、ゾフィーは協力者となっていたウルムの高校生ハンス・ヒルツェルに謄写版印刷機購入のためのお金を渡すなど、兄たちの帰国後に再開される活動のための準備をひとりで行っていた。

1943年2月18日、兄妹は大学構内で1000枚以上のビラを撒いた後にいったん外に出たが、残りも全て撒いてトランクを空にしなければならないと、急いで構内へ戻り、階段を駆け上がり残りのビラを玄関ホールに撒いた。その様子を用務員に目撃・通報され逮捕されてしまった。そこからのゾフィーの処刑までの5日間を、政治犯として拘置所で同じ監房に入り、彼女から直接話を聞いたエルゼ・ゲーベルの回想(『白バラが紅く散るとき』)から組み立てたると下の表のようになる。

秘密警察には女性の取調官がいなかったので、ゾフィーの身体検査はエルゼがするよう命じられた。逮捕当日は夜通しの尋問だったが、「夜、本物のコーヒーが出た」。エルゼによれば、ゾフィーの取調官は数少ない親切な人物で、裁判の前日、この取調官は果物、ビスケット、タバコなどを差し入れし、彼女にゾフィーの様子を尋ねている。(表には朝食、夕食などの記述がない日もありますが、エルゼの回想に載っていなかっただけで、ゾフィーたちにはきちんと食事が出されていたと思われます。)

2/18(木) 午前11時頃 大学構内で逮捕・取調べ
午後1時頃 秘密警察本部の拘置所へ連行  拘置所の監房にて所持品没収、身体検査
午後2時頃? 尋問開始
午後6時頃 夕食のため監房へもどる  30分後再び尋問  この日は夜通しの取調べ
2/19(金) 午前8時頃 監房へ戻る  朝食をとり数時間眠る
昼頃? 再び尋問  夜には監房に戻った
2/20(土) 午前中 尋問  昼頃 監房に戻る
2/21(日) 朝 拘置所の給仕係りからもう一人逮捕されたことを知る
昼頃 逮捕者がクリストフとわかる  (この日は尋問なし?)
午後3時頃 起訴状を受け取る  翌日審理が行われるとの知らせ  国選弁護人と話し合い
午後10時過ぎ就寝  (この夜は一晩中明かりがついたままで看守が30分おきに見回り)
2/22(月) 午前7時 起床
午前9時 ハンス、クリストフとは別の乗用車で民族裁判所へ
午前10時 裁判開始
午後1時半 審議のため一時休廷  審議はすぐ済み再び開廷、死刑判決
午後2時頃? シュターデルハイム刑務所へ
午後4時頃 刑務所内で両親と面会
午後5時 処刑

処刑の前に兄妹が両親とシュターデルハイム刑務所で面会できたことはまったくの幸運だった。ハンスは囚人服を着ていたが、ゾフィーは自分の服で、絶えず微笑みを浮かべ、ハンスが断った甘いものを嬉しそうに食べた。「あらそう、いただくわ、私はまだお昼を全然食べてないのよ(『白バラは散らず』P.110/インゲ・ショル・内垣啓一訳/未来社)」。



トップのゾフィーの言葉は、取調官の質問、「こういったことを全部よくお考えになっていたら、あのような行動はとらなかったのではないですか?(『白バラが紅く散るとき』P.165)」に対する答えです。エルゼ・ゲーベルによれば、彼はゾフィーにもう一度チャンスを与えようとしてこの質問をしたのだそうですが。
内容については『白バラが紅く散るとき』を中心に、『白バラの声』インゲ・イェンス、『白バラは散らず』インゲ・ショル、『ミュンヒェンの白いばら』山下公子、『白バラ』関楠生を参考にしました。(書誌データについては参考文献ページ 「Library」 を参照のこと)


1921年5月9日 フォルヒテンベルクで生まれる
1937年(16歳) 11月 秘密警察に連行される(少女とわかりすぐに解放された)
1939年(18歳) 8月 北ドイツ旅行 ハイリゲンファーフェン、北海、芸術村ヴォルプスヴェーデなど
1940年(19歳) 3月 大学入学資格試験  5月 ウルムのフレーベル学院入学
6、7月 ウルムで幼稚園実習
8、9月 バート・ドュルハイムの小児療養施設で働く  9月 学院に戻る
 
1941年(20歳) 3月 保母資格試験合格 ウルム市内の乳児院に就職 
4月〜9月 勤労奉仕動員
10月〜翌年3月 ブルームベルクの幼稚園にて勤労奉仕継続命令
1942年(21歳) 5月 ミュンヘン大学入学
6月〜7月 「白バラ」ビラ1号〜4号(ゾフィーはかかわっていなかったと思われる)
8月〜9月 ウルムの武器工場で戦時援護動員
11月 大学に戻る
1943年 1月 「白バラ」ビラ5号作成・配布
2月5日〜15日 母の病気のためウルムに戻る
2月18日 大学内で兄ハンスとビラ6号を撒いているのを発見され逮捕
2月22日 民族裁判所にて死刑判決
  17時 ミュンヘン・シュターデルハイム刑務所内で斬首

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